1つの道を
初めまして。
バルーンアーティストのmio(みお)と言います。
ずっと「色」「音」「子ども」が大好きで、
子ども達と一緒に夢を膨らませていける活動は何かないだろうか。
と、10代の頃から考えるようになりました。
19歳の時、バルーンアーティストの方と出会います。
色とりどりの風船を自由自在に組み合わせると魔法のように
形を変えるバルーンアートにすっかり魅了され、
師匠の元へ指導を受けに何度も何度も通い、
少しずつ習得していきました。
ちょうどその頃、「保育士」だった私は、週末に
ボランティアで児童館や支援センターなどをまわり、
子どもたちと共に遊び歌やダンスなどを楽しんでいました。
その活動に誘って下さり、私にたくさんの刺激と感動をくださったのが、
保育士業も音楽活動も華麗にこなすベテラン保育士のE先生でした。
E先生のようになりたい!憧れでした。
その後、どうしても夢を諦められず、苦渋の決断でしたが保育士を退職。
アナウンス学校へ入ります。1年も経たないうちにオーディションのお話を頂き、
地元放送局のキャラクターショー専属のお姉さんのお仕事に合格し、
私にとっては夢のような毎日が始まりました。
そこからまさかの「お天気キャスター」「番組リポーター」「生中継リポーター」「土曜朝の番組のMC」と次々にご依頼を頂け、所属事務所のほうの司会業やCM撮影なども遂行しながらの怒涛のような毎日でした。
全くのど素人に、有り難い「修行」の日々を与えていただいていました。
バルーンアートショーのお仕事も重ねてずっと続けていましたのでお休みは無く、
我武者羅だったと、今、振り返ります。
駆け抜けていたけれど、でも、
その頃に叱っていただいた言葉、その後の人生にずっと役立つ言葉、
深く反省した出来事、恥も、怖さも、情けなさも、どれも鮮明に覚えています。
お一人お一人の顔と声でしっかり覚えています。
もちろんお褒めいただいた言葉(希少価値!w)もそっと胸に。
結婚し、子どもが生まれ、もともと子どもはもちろん平凡で平穏な日々が好みの私は、
ブログ、フェイスブック、などSNSを閉じました。
すると、ブログを楽しみにしてくださっていたという方々から、
(退職した事務所経由ですが)お手紙が届くようになったのです。
みなさん、お母さん。同世代の女性です。
「未央さんは私と息子のアンパンマンです。」
このお手紙が届いた頃、ずーっとメンタルが弱っており、
自分に自信が持てず、ふさぎこんでいた頃だったのもあって、
この一文を見て、ふふふって笑いながらも自然に涙が出ていました。
そして子育てが落ち着き、バルーンが大好きで大好きで大好きな私は、
バルーンの活動を本格的に再開します。
そのショーに、そのお手紙の方がいらっしゃったのです。
もちろん初対面でしたが、
「あの、昔、手紙を送らせていただいた、、、、」とおっしゃられた瞬間、
私の目には涙がたまっていました。
そして、なんとE先生にまで会えたのです。
太陽より眩しい最高の笑顔で駆け寄ってきてくださり、
「未央ちゃん、未央ちゃんの声はとっても聞きやすいね。
嫌味もない。明るさと優しさのどっちも伝わってくるよ。
宝物の声やね。大事にしられ。」
そうおっしゃって肩や腕を撫でてくださいました。
この時の出来事は私の「宝物」です。
この時、
自分で言うのもなんなんですが、
「真面目に生きていればいいことあるんだなあ」
そう思いました。
誰にでも当てはまることかもしれませんが、
人生は、人との出会い、出会いをどう捉えていくかで
潤いあるものになっていくと思います。
今、こうして書きながらも
あの方のあの言葉があったから、、
あの時のあの出会いが、、、
といろんな人のお顔が浮かんできます。
これからも人とのつながりに感謝しながら、
司会業とバルーンの活動を続けてまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。
最後になりますが、
司会業をしておりますと、講演会や、インタビューで、
第一線でご活躍の「1つの道をただ真っ直ぐに」進んでいらっしゃる方に
多く出会えます。
私のバルーンに対する「好き」はまだまだ足りないな!
もっと極めるぞ!という気持ちになります。
そして、未来を生きていく子どもたちには、どうぞ、自分の「好き」を見つけ、
気づき、そしていっぱいいっぱい夢を膨らませていって欲しいと思います。
私がバルーンショーをしていく中で、
伝えたい想いはこれです。
大空に羽ばたいていく子どもたちを心から応援しています。
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